〜Our Last Journey〜
まず"ある人"の言葉を引用させてほしい。
My approach tends to be from experiments. I need the challenge. If I know how to do something well, there's no need to do it all the time because it becomes a little monotonous. So I like to find a challenge.
“私の考察は経験からなる傾向にある。チャレンジが必要だ。もし何かをするのに、それのやり方をよく知っていたら毎回チャレンジをする必要がなくなる。少し一本化されていくからね。だから私は挑戦を見つけることが好きなんだ”
今回フランスはパリで行われるコンペ出展にあたり、
マネージャー両角くんと話し合い、どのような雰囲気でいくかの方向性をある程度定めた。
そして、様々な考察を重ねて、吟味し、やり直し、ゆっくりと制作を進めた。
しかし、いままでにない感覚がそこにはあった。
"描いていても正解がわからない"
つまりはなんの手応えもなく、ゴールも見えず、ひたすらに描いては消しを繰り返していたのだ。
納期が迫るなか、悶々とした気持ちを抱えたまま
その"作品"は完成を迎えた。
描き終えても空気を掴んでいるかのような、
具現化しているのに、なぜか抽象的な印象がそこにはあった。
迷っている暇もないなか、納品、搬送が行われた。
フランス渡航1ヶ月前
ある日こんな電話が入る。
"突然なんですが、本日付けで退社することになりました…"
なんとなく覚悟はしていたことだったからか、驚きは少なかった。
"最後にフランス行きたかったです…"
その言葉を聞いた時、『最後』が実感として沸いた。
その日からだ、フランスに行く必要を感じなくなってしまったのは。
過去、彼との関わりで国内外問わず賞をいただいた。
彼なき今、フランスに渡航する気が削がれてしまったのだ。
その瞬間、私の手を離れてしまった作品が"誰かの作品"になってしまった感覚があった。いや、"誰のものでもない"と言った方が正しいだろう。
私はあらゆることにおいて、今すぐ決断することが苦手だ。応えは能動的ではなく、どこか受動的なものである節があるからだ。
今はこう思うが、3分後はわからない。だから時が来たら応えをだしたい。今回の件においても、フランス渡航は時が来るまで考えないことにした。
決断の時期が迫る中、
日々の忙しさから次第に外へ出たい気持ちになっていた。限界が来ていたのだろう。なにが自分にとって良いことか、軸があるはずなのに、ないような、いろんなところに軸があるような、なにをしても結果は出るがそれが良いのか悪いのか、なんなのかよく分からない日々が続いていたのだ。
身を粉にして働くことへの疑問。自分の体が喜ぶことは何か。見たい景色は。望むものは…
自問自答を繰り返し、そして、無意識のうちに自分にくっついてしまったいらない価値観や負の感情を削ぎ落とすべく、フランス行きの覚悟を決めた。
フランスへ向かう機内。いつもと変わらず、海外へ行く実感は湧かない。気が付いたことだが、現地へ向かうまでの間で、自分のことだけ考えれば良い脳にスイッチしているのだろう。パソコンでいうところの再起動の操作だ。
再起動が終わり現地に着くと、ワクワクに近い緊張感に襲われた。懐かしい心持ちだ。この経験を生かすもころすも自分次第。チャレンジを余儀なくされるこの感覚。すぐさま自分の心身をアップロードする旅に出かけた。
1日目は必ずやることがある。自分の足で歩き回り、頭の中に地図を作ると同時に、その土地の空気を体になじませる。初日は旅行者に見られるため、タクシーや物乞いを含むあらゆる輩が声をかけてくる。それも一日中歩けば済む話だ。
今回はあらゆる美術館、博物館、記念碑、ありとあらゆる文化財をこの目に焼き付けることを目標とした。
結果、20箇所近く訪れることができた。
そのうちの一つで、あるアーティストとの出会いがある。それが前述した言葉の、唯一自分の心に響いた人物Robert Ryman だ。
彼の描く作品は正方形のキャンバスにあらゆる方法で描かれた"白"の世界。初めは、失礼ながら、また抽象画か…あんまり得意じゃないなと横目で流すつもりでいた。
だが。彼の空間を数歩あるいただけで、一瞬にして惹き込まれてしまった。私自身がずっとふわりとした感覚として抱いていたものが、彼によって具現化され、そして肯定された瞬間だった。それを境に、体の奥から消毒されていく、即効性の薬を処方されたかのようにスッキリとしていく自分がいた。これはコンペの展示会場に足を運ぶ前日の話である。
次の日、ついにその時は来た。
スーツに着替え、気持ちを確かに、会場へと足を運んだ。そこへ着くと、すぐにまた空虚な感覚が押し寄せてきた。それは悲しみや切なさに似た感情だった。会場に入りまず先に自分の作品を探す。なかなか見当たらない。それもそうだ、私の作品は建物の支柱のような壁に、入り口とは反対側を向いて飾られていた。1番良い場所と両角は言っていたが…勘違いだったのか。実際に自分の作品が探せず2周してようやく気がついた。
よく見ると壁に溶け込んでいて作品という見分けもつきづらい。先程の感情は間違いではなく、むしろ絶望に近い感情も湧いていた。人はたくさんいた。しかし見向きすらしない。そこにある我が子と向き合いしばらくたたずんでいた。『終わりか…』 長きにわたり結果を出してきた両角とのコンビは会社でも有名だったみたいだったが、再びこの一言がふっと頭に浮かんできてしまった。
いち早く立ち去りたかった。フランス人審査員などどうでも良い、お客さんもどうでも良い、他の作品もどうでも良い。ただその場から逃げたかった。自分の期待値が惨めに思えた。
そんな時突如として再び頭に浮かぶ。
"ある意味、絵画がさらに美的に表立つのは、絵は空間に巻き込まれていて、かつ、必ず絵が壁自身を引き込んでいる。”
やはりこの人とはなにかあるのかもしれない。
Robert Rayman の言葉である。
まさにこの状況ではないか。仮に今これが1番、いや、過去最高に審美的な作品になっているとするならば、こいつでどこまで闘えるのだろう。再び悩みは払拭され、名匠のそれに近い感覚を少し味わえているのではないだろうかとワクワクした。いける。結果は問題ではない。この絵が誰に、どんな喜び、キッカケを与えるか。それだけで良いのだ。そこが私の本質であり、やりたいことである。誰かのために作るのではなく、自分の作りたいもので誰かに影響をあたえる。再び自分の軸に根が生えた。これだ、これを探しにパリまで来たのだ。
帰り道、いつもの如く頭の中を自問自答で整理する。
今回この"最後の地"まで、
なんども考え、なんどもやり直し、なんども悩み、制作したゴールのない絵画は、とてもモヤモヤする答えのでない挑戦だった。時代の終わりと始まりを表現した作品は、マネージャーとの最後の作品となった。アート制作に身が入らず、店舗の運営にだけ集中した時期もあった、がむしゃらだった、そうして完成した新店舗もこれでよかったのかわからないチャレンジだった。フランスに渡りたくさんの作品という価値観に触れ、自分を修理するチャレンジをした。そこで見た景色はいままでの景色とは違うものだった。だけどそれは自分が次のステージにいることの裏付けになった。
今はハッキリとわかる。私も挑戦が好きだ。挑戦を糧に、そこから新しいなにかをうみだす。それを見た人が喜び、感動し、それを見た人に影響を与える。誰かのためではなく、自分のための創作が誰かのためになる。
抽象なんてものもない。なにかをする時、必ずなにかを抱いて始めている。今回は集大成がそれにあたる。そして進行していく中で、リアリティの痕跡を消していく。自然とリアリティが消え入った結果、私はゴールがないと勘違いし、モヤモヤが一人歩きしていたのだ。ないのではなく、消していただけなのに。
人はアートのようだ。そこにあると周りの一部のように見えるが、そこにいるだけで周りを巻き込んでいることもある。生きてきた歴史、経験がアートになり、また、アートもこれからの自分になりうる。
これを機に、海外の出展はしばらく行わないことにする。
両角と歩んだ長い国内外のチャレンジはここフランスで集大成を迎えた。この気持ちを得るためにいままでの旅があったのだと確信している。これから見るべきは、今は海外にはなく、自分自身である。
これまでの経験を糧に、自分が何をしたいか、何を表現したいかを追求する挑戦をしていきたい。
コンビ解消!!
最後が最高に良かったよ!
いや〜楽しかったぜ!
ありがとう!!